東京都内某所にある築40年のマンション。住人の大半が転居し、現在の入居率は30%を下回る。そんな「廃墟化寸前」の建物で5年間管理人を務める佐藤健一さん(58)から連絡があったのは、真夏の暑い日だった。
「記者さんに話したいことがあるんです。でも、信じてもらえるかどうか…」
電話越しの声は震えていた。
始まりは「足音」だった
佐藤さんがこのマンションの管理人になったのは2019年。前職のタクシー運転手を辞め、比較的楽だと思って始めた仕事だった。
「最初の異変は3階からの足音でした。夜中の2時頃、決まって廊下を歩く音がするんです。でも3階には誰も住んでいない」
佐藤さんは管理室に泊まり込みで勤務している。深夜の見回りも業務の一つだが、その足音を聞くたびに3階に向かった。
「階段を上がると、足音はピタリと止まる。廊下には誰もいない。電気も点いていない。でも確実に聞こえるんです」
307号室の「住人」
特に異常が集中するのが、3階の307号室だという。
「この部屋は2年前に住人が亡くなって以来、空室のままです。でも時々、中から生活音が聞こえる。テレビの音、食器を洗う音、シャワーを浴びる音…」
佐藤さんは何度も大家に相談したが、「気のせいだろう」と取り合ってもらえなかった。
「ある夜、ドアの隙間から明かりが漏れているのを見つけました。合鍵で中に入ると、部屋は真っ暗。でも確実に電気が点いていたんです」
その時、佐藤さんは部屋の奥から「視線」を感じたという。
「誰かに見られている感覚でした。でも部屋には誰もいない。慌てて外に出て、それ以来、あの部屋には近づいていません」
エレベーターの「4階ボタン」
このマンションは3階建てだが、エレベーターには「4階」のボタンが存在する。
「建設当初は4階建ての予定だったらしいです。でも建築途中で計画変更になって、4階部分は作られなかった。それなのに、時々4階のボタンが押されているんです」
佐藤さんによると、4階ボタンが押された時のエレベーターは、3階で止まった後、しばらく上昇を続けようとするという。
「ガガガって異音がして、エレベーターが上に行こうとする。でも4階はないから、結局3階で停止する。乗っていると背筋が凍りますよ」
深夜の「訪問者」
管理人室には定期的に「訪問者」が現れる。インターホンが鳴り、モニターを見ると、必ず同じ女性が立っている。
「40代くらいの女性で、いつも同じ服を着ています。『すみません、鍵を忘れました』って言うんです。でも住人名簿を確認しても、そんな人はいない」
佐藤さんがドアを開けると、廊下には誰もいない。防犯カメラを確認しても、その女性の姿は映っていないという。
「最初は怖かったけど、今では慣れました。週に2、3回は現れます。もう5年の付き合いですから」
苦笑いを浮かべる佐藤さんだが、その表情は疲れ切っていた。
「写真に写る影」
住人からの相談で最も多いのが、部屋で撮った写真に「謎の影」が写り込むというものだ。
「201号室の奥さんが持ってきた写真を見せてもらいました。孫の誕生日パーティーの写真なんですが、背景の壁に人の影がくっきりと写っている。でも撮影時、その場所には誰もいなかったそうです」
似たような相談は月に数件あり、佐藤さんは「写真は見ないようにしている」という。
「見ると夜眠れなくなるんです。影の形がみんな同じなんですよ。手を伸ばしたような、誰かを呼んでいるような…」
管理人を続ける理由
これだけの異常体験をしながら、なぜ佐藤さんは管理人を続けているのだろうか。
「最初は辞めようと思いました。でも、ここにいる住人は皆さん良い人で、特にお年寄りが多いんです。僕が辞めたら、この人たちはどうなるんだろうって」
また、不思議な体験に対する考え方も変わったという。
「彼らは害を加えようとしているわけじゃない。ただ、ここにいたいだけなんだと思います。生きている人間も、亡くなった人も、みんなこの場所に愛着があるんでしょう」
「共存」という選択
取材の最後、佐藤さんはこう語った。
「怖いことは確かにあります。でも、慣れるものですね。今では『おかえり』って心の中で声をかけています。彼らも住人の一人だと思って」
夕暮れ時のマンション前で、佐藤さんは3階の窓を見上げた。307号室の窓に、一瞬、人影が見えたような気がしたが、目を凝らすと何もなかった。
「きっと今夜も足音が聞こえるでしょう。でも、もう怖くありません。ここは僕たちが守る場所ですから」
取材後記
超自然現象を科学的に説明することは難しい。しかし、佐藤さんの話には一貫性があり、作り話とは思えない真実味があった。都市部で増え続ける廃墟化マンション。そこには住人だけでなく、「見えない住人」も存在するのかもしれない。現代社会が見落としている、もう一つの現実がそこにはあった。
(この記事は2025年7月に実施した取材に基づいて作成されました)
取材・文:取材.com編集部
